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香典の意味と歴史

香典の意味と歴史

 「香典」はかつて「香奠」と書きました。
この“奠”という字は訓読みで“まつる(祀る)”と読めますが、大概の方の認識されているとおり「香をそなえる」という意味です。この意味から転じて「香典」「香資(こうし)」「香料」とされるようになってきました。
民俗学者や宗教学者の間では、この発生に関して諸説唱えていらっしゃいますが、お墓に香花(樒)を捧げたことに由来するのではないかといわれています。
 室町時代後期には武士が金銭にて香奠を出したとの記録があるようですが、その頃は貨幣による経済が未発達だった為、農村部などにおいては専ら香奠として米などの食料をもちよっていました。
そんな時代が長く続き、貨幣経済が発達し庶民の生活スタイルが変わり始めた明治期に多くの都市部において、金銭での香奠が一般的になってきたようです。
 しかし、地方ではまだまだ普及が無く大正期から昭和初期にかけて徐々に金銭での香奠が普及していったようです。今では「香典」といえば紙幣、は当然ですが地域によって大量のお供え物(食料)などをするのは、戦前までの香奠習慣の名残といえます。

 現在のような金銭香典より以前は食料を香典とした時代があったとご紹介いたしましたが、仏教的にお香が「仏様の食べ物」とされており、それが転じて食料になったという考えもあります。実際葬儀の席での食事の振る舞いが盛んに行なわれていたことからその助けになると、香典が食料になった事にはじまります。葬儀の期間、喪家の地域に住む人々は子供も含め自分の家では食事をせず、喪家の振る舞いに与っていたという記録もあるようです。
 喪家では故人の成仏を願い滅罪する為の布施として、親戚や地域の人に食事を振舞いました。現在でも食事の席に親戚やお世話方を連ねるのはこのためです。
振る舞いの為の多量の食料を必要とするため、親族(親戚)はたくさんの食料を提供しました。これが親族香典です。
昔は、忌み(神に対して身を清め穢れを避けて慎む事)の観念が強かった為、故人の血縁の近しい親族ほど、その食料の量が多かったといいます。また、地域の人々は自分達が食する分だけの食料を持ち寄りました。これが地域や近しい方々会葬者の香典です。現在でも親族と会葬者の一般的な香典の額が違うのは、これに由来します。
また、現在でもそうですが、近所の方々は葬儀の為の多大な労力を提供していましたが、これを香典とする考えもあったようです。
 葬儀を出すと親戚・近隣の人に振る舞いをしなければなりませんでしたが、これは多額な出費となりました。喪家や親族の負担は大きく、経済的に厳しい家では葬儀を出せないという事態もあったとされます。

香典はそうした状況に対する相互扶助としての意味を持っていました。
 今でも、かつて自分の家で葬儀を出した時の香典帳が保存されており、他の家で葬儀があると前にいただいた金額と同等の香典をおくるというのが一般的ですが、香典は地域社会における義理の一つであり、義理を返すことは相互扶助精神の表れであるといえるでしょう。